前回の「コミュニケーション」はちょっとしたやり取りの中で「わかってもらえた」という体験が前に進むきっかけになったというエピソード。大作ブログで読み応えたっぷりでした。
一言で「わかってもらえた」と感じたエピソード、私にもあります。「ピーラー事件」です。
子供の頃のある日、家に祖母と私の二人だけでいる時に、私はジャガイモの皮をピーラーでむくというお手伝いをしていました。祖母はその途中で、庭で育てていた青ネギを取りに外に出ました。私が一人で皮むきをしている時、勢い余ってじゃがいもの皮と一緒に指先を切ってしましました。切った瞬間は「あ、切っちゃた」とだけ思って、
すぐにティッシュで傷口を押さえて止血したのですが、しばらくして指を確認すると、また血が出てきます。思ったよりも傷が深くて「どうしよう」と思った時、祖母が戻ってきました。私はピーラーで指を切ってしまったことを伝えました。
その時の祖母の一言は「そりゃ、怖かったなあ」でした。痛かった、ではなく、怖かった。
そうなのです。痛いのは痛いのですが、それよりも、一瞬とはいえ家の中で一人で「血が止まらない、どうしよう」という不安、怖いという気持ちの方が大きかったのです。だから「怖かったなあ」と言ってもらえてすごく「わかってもらえた」と思いました。そしてすごく安心しました。
「痛かったなあ」でも全然おかしくないし自然です。でもきっと大人になってまで覚えているようなエピソードにはならなかったと思います。「怖かったなあ」は記憶に残るほど、その瞬間の私の核を見事にとらえていたし、それを包み込んでくれる言葉だったと、今、大人になって思います。
今回の担当は中村でした。
次回の担当は芳野です。
お楽しみに。