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芳野

認知症病棟での不思議な体験


こんにちは。 秋らしくなってきましたね。 行楽や運動会、お祭りなど楽しい行事がいっぱい。 そして、何となくもの悲しくなる季節でもありますね。

前回の「ピーラー事件」は温かくて優しいお話でした。

そこで、私も思い出してみました。

「私の核を見事にとらえて包み込んでくれた」体験です。

埼玉で精神科の病院が開院すると言うことで、私は開設スタッフとして山梨の病院から転職しました。

コップもぞうきんもトイレットペーパーも何もないところから、いろんな考え方のいろんな経験をしてきたスタッフが寄り集まって一つのことを始めるというのは、本当に大変でした。

当初、認知症の病棟を担当していた私は、前日にあったトラブルで悩み傷つき、絶望的な気持ちで眠れない一夜を過ごして出勤しました。

午前中に認知症の「回想法」というお話のグループがあったので、表面的にはいつもと変わらず元気に振る舞って、患者さん達に声を掛けていました。もちろん、患者さん達は病院運営の内情のことなどは全く知りませんし、心配を掛けてもいけません。努めて明るく振る舞いました。患者さん達とは、毎日顔を合わせてお話ししているので、認知症とは言っても既に顔なじみとなっていて、ずいぶんかわいがってもらっている関係でした。

その中に、ある一人の若年性アルツハイマー病の男性患者さんがいました。当時、60歳にならないくらいだったと思います。認知症の程度は最重度。既に会話は成り立ちません。こちらが言っていることも、ほとんど理解は出来ません。

その方が、スタスタスタ…と重い心を抱えたままの私に寄ってきて、ポンッと肩を叩いたのです。

温かく優しく力強く。

そして、私の目をまっすぐ見て、うんっとうなずきました。

私の心は、全てお見通しでした。

どんなに強がっても、見透かされていて、分かっていて、それで見守ってくれている。

そう分かったとき、心の力がふわぁっと抜けて涙があふれました。

トラブルは何も変わらないのだけれど、分かってもらえただけで、絶望的な悲しみは消えました。

認知症の病棟にいると、ときどき、こういった不思議な体験をします。

認知症は、記憶力や理解力、判断力など様々な社会生活に必要な能力が衰えていくけれども、そういったものがそぎ落とされて、人としての核が残っていくのだと言う人もいます。

今、改めて思い出してみても、あのときの情景がはっきりと思い出せます。

あの体験は、今の私をも支えてくれているのだと思いました。

今回は芳野の担当でした。

次回は中村です。

お楽しみに。


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