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中村

同じ季節、違う景色


こんにちは、また2週間ぶりの更新となってしまいました。

前回の「修学旅行」では、芳野が修学旅行で蔵に感動した体験が綴られていました。私の修学旅行先は、京都・奈良や東京などだったので、歴史ある寺社仏閣や、最新の建築などの見学がメインでした。そして、やはり驚きと感動を体験しました。

地方出身の私は、建築物の素晴らしさもさることながら、都心や観光地の人の多さと今までに見たことないような街の活気に刺激を受けました。そこに住んでいる人にとっては当たり前の風景だと思うのですが、その雰囲気にワクワクしたことを覚えています。この感覚は小さい頃から街中に住んでいる人には伝わりにくいかもしれません。それとは逆に、都市部の学校が修学旅行で地方に行き、自然を体験することについて、若い頃の私は、「修学旅行なのにわざわざ山とかに行くのってもったいないな」と思っていました。そこで新鮮な体験をして感動する人もいるということが理解できていなかったのだと思います。

修学旅行で外国に行く学校も増えました。きっと国内以上に驚きや感動があるだろうと思います。自分の生まれ育った場所とまったく違う、知らない世界に行く。そこで、ずっと住んでいる人は味わうことのない、驚きや感動を味わう。「当たり前」がごく限られたもので、自分の当たり前と他の人の当たり前は違うということを体験する。旅行ってすごいな、と改めて思いました。

さて、このブログでは季節をテーマにあげることが多いですが、季節の感じ方にも同じことがいえるかもしれません。「今はこんな季節だな」「そろそろこういう時季だな」というのは同じでも、気づくポイントや見ているものは、人によって違います。例えば、「夏のようだ」と思うとき、実際に気温が高く汗ばむ陽気の中で「暑い」と感じることもあれば、冷房の効いた部屋で誰かの涼しげな服装を見て「夏らしい」と思うこともあります。

季節の話は、共通の話題として軽い挨拶の中でも話しやすく、最近は「もう夏ですね」という話もよくしています。「もう夏だね」と言い合って同じ季節を感じる一体感は、それはそれでうれしいものです。

でも、ちょっと会話を続ける中で、夏を感じる理由が違うとわかり「ああ、そう言われれば」と気づくこともあります。同じ季節を過ごしていても注目する景色が違うと、自分では気づかないことに目を向けることもできます。すると、今までより季節を感じる幅が広がったり、こまやかになったりします。同じことを同じように感じているからではなく、同じ季節でも見ている景色が違うからこその広がりです。

自分の当たり前と他の人の当たり前は違う。でも、それを語り合うことが視野を広げてくれるし、同じ時間を濃くしてくれる。社交辞令の一歩先の季節の会話から、こんなことを考えました。

今回の担当は中村でした。

次回の担当は芳野です。

お楽しみに。


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