こんにちは。二ヶ月半ぶりのブログ更新です。
前回の「贈る言葉」は休校期間中の卒業式の話題でしたが、季節は変わり、今週は梅雨入りです。
あまりに長い間お休みして、時季カウンセリングオフィス再開後もブログを更新していなかったので、ご心配をおかけしたかもしれませんね。
健康を害していたわけではなく、サボっていたわけでもなく、むしろ、時間は比較的あったので、今書くとしたらどんなことだろう?と考える機会は度々ありました。でも、混乱した社会状況の中で、本当に発信した方がいいのかと考えたときに、いくつか理由があって今は控えよう、と思ったのです。
理由の一つは「情報が多すぎる」と感じたことです。知りたいことを調べても、役に立ったと感じられるのは10のうち1つか2つ。新しい情報が次々に流れ、頼りになりそうな情報を見つけるためには、たくさんのことを見たり聞いたりしながら、考え、取捨選択しなくてはならなくて、私自身がそれに疲れました。
心の健康に関する情報についても同じではないかと思いました。目立つトピックだけでもたくさんあります。感染拡大の不安、外出や人との接触の制限、経済的な問題、長期にわたる休校、なじみのない在宅ワークやオンライン授業、ストレスの高まった家庭内での危機、感染者や医療関係者への差別。このような状況で不安や焦り、緊張はあって当たり前ですし、不調は避けられません。
それに対して、割と早い時期から注意喚起はされていました。できる範囲内での対処法や相談窓口などの情報も各方面から伝えられていたと思います。情報だけでなく、当事者の悲鳴も、そのような中で奔走する人々の様子も、前を向きオンライン上で発信する人々の活躍も、いろいろなエピソードがあふれていました。
ただ、情報が多すぎる。多すぎて情報が目詰まりを起こして、必要な人に必要な情報がきちん届ききらないのでは?こんな時にはブログのような情報が少ない方が流れがよくなっていいのではないか、と思ったのです。
もう一つ、理由があります。いつもブログを書くときに感じていることですが、読んでくださる方の今の状態はわからない、ということです。同じ危機に直面しているとはいっても、一人ひとりが置かれている状況は様々で、不特定多数の人に何かを伝えるのは難しい。ブログは事態が落ち着いて、季節の話題を書けるようになってからでいい、と思ったのです。
さて、やっと、緊急事態宣言が解除されましたが、残念ながら事態が落ち着いたとはまだ言えません。今度は「新しい生活様式」での社会が始まっています。皆さんはもう慣れましたか?私はまだ慣れていません。特に難しいのがソーシャルディスタンシングです。少しずつ通常の生活に戻ってきたら、今度は距離をとることをうっかり忘れそうになったりします。コンビニのレジ待ちの列など、印があるところはわかりやすくていいのですが、身体感覚としてまだなじんでいないので、何もないところでは相当意識しないと難しいです。
この距離感覚は、傘です。ある時「常に大きめの傘を差していると思えばいいんだ」と気づきました。雨の日に道ばたで知り合いに会ったら、お互いの傘がぶつからないように、自然と距離をとったまま挨拶しますよね。雨が強く降っていたら、傘に当たったしぶきが飛ぶかもしれないからもっと距離をとる。屋内でも(むしろ屋内で?)自分も相手も大きめの雨傘を持っていると想像したら、無理して距離をとっている違和感も、ちょっと遠くて寂しい感じも減るかもしれません。
距離を保って身を守ることが傘をさすことだとしたら、ウイルスは雨に例えられるでしょうか。雨が降ったら傘をさすし、大雨警報が出ていたら、急がない用事はやめて家にいるかもしれません。雨宿りしていて雨がだんだん小ぶりになったら、そろそろ行こうかと、また傘をさして歩き出すでしょうし、雨がやんできて降ってるかどうかわからなくなったら傘をさすかどうかも迷いはじめます。毎日降ったりやんだりの雨の日が続くと、念のため傘を持ち歩きます。梅雨時のお天気と今の状況というのは案外似ているのかもしれません。
これまで数ヶ月は傘のないときに突然の大雨にあったようなものでした。ずっと雨宿りしていた人も、憂鬱な気持ちで雨の中を毎日出かけていた人も、これから傘をさして、傘に守られて歩くことならできるかもしれません。願わくば、この雨がやみますように。
※追記:こんなことを考えていたら、ちょうどニュースで、小学校のソーシャルディスタンシングと熱中症対策として、傘をさして登下校するという学校が紹介されていました。晴れの日も色とりどりの傘をさした子供が歩く姿はなんだかかわいらしいですね。「新しい生活様式」とも少しずつ仲良くなれるような気がしてきました。
今回の担当は中村でした。
次回の担当は芳野です。
お楽しみに。